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日本海軍・戦艦扶桑 1941年 その2 船体の組み立て

Category : 艦船

Scale : 1/700 Maker : ピットロード Post : 484-2

船体の組み立て

まだヨドバシカメラから塗料を発送したという連絡も無く、当然届かないのでフンメルの続きはできません。せっかくなので扶桑の組み立てを進めます。今回は船体の組み立てをしました。

副砲の取り付け

副砲の組み立て

まずは船体の横にずらりと並んだ副砲の50口径15cm砲を取り付けます。片側7門の14門が付きます。ただWikipediaなんかでみると副砲は16門と書かれています。でもWikipediaに載ってるイラストでも14門なんですよね。どうなってんでしょうかね?一番前にもう1組付けられそうな箇所があるのですがここにはありません。キットにもパーツは入ってませんし、箱の作例の写真にもここは大砲が付いてません。だから合ってるとおもうのですけど・・・

艦首の組み立て

艦首の組み立て

艦首に錨を貼り付けます。ホワイトメタル製でごっついゲートも付いています。金属パーツでこんなゲートどうするの・・・と思ったのですが、ホワイトメタルは意外と柔らかく、プラモ用のニッパやヤスリで加工できました。これをアロンアルファ(ゼリー状)で貼り付けました。

旗を立てるマストにはエッチングパーツの足を貼り付けます。マストの長さは11mmと書かれていたので、13mmの長さで0.3mmの洋白線を切り出し、船体に2mmの穴を開けて差し込んであります。穴が少し大きめなので傾いていますが、実際に組み立てる時は接着剤で固定するのでまっすぐに立てます。今貼り付けてしまうと組み立てや塗装の途中で壊してしまいそうなので、まだ接着はしません。

他に艦首の左右に空中線を付けるためのポールが立つのですが、こちらは塗装後に取り付けることにします。あまりに小さなパーツなのでしばらくランナーに付けたままにしておきます。

艦尾の組み立て

艦尾の組み立て

艦尾にも錨と旗竿を立てます。艦尾の旗竿は18mmの高さです。これって700倍すると12.6mにもなります。けっこうな高さですよね。こんなに高いとは知りませんでした。こちらも未接着なので傾いていますが、塗装後にはちゃんとまっすぐに立てて接着します。

艦載機用クレーン

艦載機用クレーン

艦載機用のクレーンはご覧の様にホワイトメタル製のパーツが入っています。ですがエッチングパーツを使う場合はポールのみを使用してアームの部分はエッチングパーツに置き換えます。そのためまずはアームをポールから切り離します。

艦載機用クレーンの組み立て

エッチングパーツのクレーンアームをポールに取り付けました。もともとのホワイトメタル製のパーツに比べると思いっきり精密なクレーンができあがりました。これはテンション上がります。

艦載機用クレーン

船体にクレーンを付けてみました。これも旗竿と同じで仮留め状態です。固定にはブルタックを使っています。写真を撮影するあいだの30秒ほどしか立っていてくれませんが、これで十分です。旗竿やクレーンは壊すといけないのでしばらく別で保管ですね。

船体の組み立て

これで船体ができました。今回のエッチングパーツセットには周囲の手すりは入っていないので付けません。このまま次の工程、艦橋の組み立てに進むことにします。

(全作品完成まで あと117)

PopIn Aladdin 2

PopIn Aladdin 2

ロナで外出自粛になったころから古い仕事用のプロジェクターを引っ張り出してきて自室で映画とかを観ていたのですが、今回の amazon タイムセール で前から欲しかった PopIn Aladdin 2が安売りしていたので買っちゃいました。昨日ポチッとしたら今日届いちゃったので午後から天井に取り付けやらネット接続やらの設定をしていました。部屋を真っ暗にしなくてもそこそこ見えるのと、シーリングライトと一体なので邪魔にならないのがいいですね。ただBlue-rayが観れないって・・・先に言ってよ〜(~_~;)

なにか方法を考えないと・・・

 

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“日本海軍・戦艦扶桑 1941年 その2 船体の組み立て” への2件のフィードバック

  1. H.H. より:

    副砲の数について、手持ち資料からの情報をご案内させて頂きます。
    扶桑の副砲は竣工時は16門ありますが、1941年の段階では最前列両舷の1門ずつが重量軽減のため撤去されて14門となっています。前檣楼の大型化やその周りの対空兵装充実に伴う前部重量増加に対応したものと思われ、金剛型や長門型でも同様に最前列の副砲が撤去されています。
    正確な撤去時期は把握出来ていませんが、同型艦の山城では、昭和12年6月末から翌年3月末までの改装工事の際に撤去されたと手持ち資料にあります。扶桑でも昭和10年撮影とされる写真では最前列の副砲があり、14年撮影とされる写真では無くなっているので、山城と同じような時期に撤去されたのではと思われます。

    • 根生 より:

      H.H.さん、こんにちは。情報ありがとうございます。
      なるほど軽量化のために外されちゃったんですね。たしかに一番前にはかつて副砲があったようなくぼみがあるんですね。勉強になりました。

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