日本海軍・戦艦扶桑 1941年 その5 煙突の続きと後部艦橋
2021年2月4日
前回は煙突の周囲のエッチングパーツの組み立てで力尽きたので、今回はその続きからです。煙突のまわりにある探照灯やレーダーなどを取り付けます。今日はさらに元気があったので(笑)、勢いで後部艦橋とマストを組み立てました。
詳しくはつづきをどうぞ…
煙突の艤装
煙突に付く探照灯などを取り付けます。全部で6基つけるのですが、なぜか1つだけプラパーツなんです。ホワイトメタルとプラパーツで出来はあまり違わないので、プラパーツでいいのにね・・・って思います。赤丸で囲ったパーツはなんだか知りませんが、よく見ると傾いています。これは直しておかないといけませんね。煙突の側面にはアンテナのようなもの(レーダーかな?)が付きます。これは組み立ててから接着するのが非常に困難な気がするので、煙突に貼り付けながら折り曲げたり貼ったりして作りました。
煙突を船体に仮載せしてみました。煙突の両側にある対空機関銃の乗った部分も作りました。これで煙突の周囲はできあがりです。
後部艦橋とマスト
煙突を作った勢いでさらに後部艦橋も津朽ちました。ほとんど出来ているのでそこにマストを接着し対空砲を乗せました。マストはホワイトメタル製でプラに比べると丈夫そうなのですが、これくらいの細さになると少々柔らかく、注意していないとグニャグニャになってしまいます。そこにマストの腕を0.3mmの洋白線と0.4mmの真鍮線で作りました。0.3mmは真鍮線では弱すぎるので洋白線を使っています。塗っちゃえば色は同じになりますからね。
今回組み立てた部分です。右側が後ろですね。マストには艦載艇などをつり上げるためのクレーンの腕も付くのですが、こちらは塗装後に接着する予定です。また写真には写っていないのですが階段のパーツも入っています。それも塗装後に取り付ける予定です。
これまで作ったパーツを仮載せしています。大変だった割りにはあっと言う間にここまで来ました。今回のキットには手すりが入っていないので、後残っているのは艦載機用のカタパルトと艦載機や艦載艇です。あと1回で組み立て作業は完了の予定です。
(全作品完成まで あと117)
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おはようございます。
早くも形になってきましたね。素晴らしいです。
煙突両サイドの対空レーダーは、1941年の状態であれば付いていないのが正解ですね。
エッチングとホワイトメタルを駆使した精密表現、見ている分には素敵なのですが、工作は物凄く大変そうですね。引き続き楽しみにしています。
H.H.さん、こんにちは。情報ありがとうございます。
今説明書を確認しました。対空レーダーは1941年型では不要と書かれていました。いや~、うっかり作ってしまいました。エッチングパーツの加工って苦手でなかなかうまくいかないのですが、今回は珍しくできたので喜んでいたけど不要だったんですね。(゜◇゜)ガーン
まぁ、作ったパーツは1944年を作る時用にとっておきます。
対空用の13号電探は、大小各種艦艇に広く装備されましたので、1944年時の扶桑以外にもあちこち転用できますね。あと、1944年時のエッチングパーツを用いたという事でしたら、対水上用の22号も余ってくるでしょうから、こちらも転用先には事欠かないかと思います(^^)
もう1つレーダーを作ることになってるのですが、それが22号ですね。こちらは1944年用と書かれているところの近くだったので作る前に気づきました。